「西原久美子」旗揚げ公演>

久美さんが舞台を目指した切っ掛けと
デビュー当時の久美さん。



 「ヘタキツネ・グラフィティ」や過去の雑誌等、各種ビデオのインタビューなどを元に、久美さんの夢への軌跡を私なりにまとめてみました。


〜立志編〜
劇団21世紀FOXさんに入団するまで

 久美さんはおっしゃいました。
 好きな事を仕事に出来るのはとてもしあわせです☆
 久美さんは芝居が大好きです。根っからの演劇大好き少女です。
 劇団21世紀FOXさんの看板女優となった今でも、もっと舞台の上にいたい、もっと喋りたいと唸っている(笑)くらい、ストレートに舞台を愛しています。
 そんな久美さんが、お芝居というものに興味を持ち始めたのは、小学生の頃です。当時は他の数多の子供と同じように、胸にいっぱいいっぱい夢を秘めて目を輝かせていた普通の女の子でした。初恋の相手の男の子のテストの答案を見つけ、チャンスとばかりにその子の家に届けに行く、積極的(?)な女の子でした(因みに悪い点数の答案だったため、嫌われてしまったそうです)。
 保母さん、先生、お花屋さん……エトセトラ……芝居をやりたい、というのも、夢の中の一つであったそうです。
 芝居への憧れが強まったのは、当時、お母さんに連れられて観に行ったミュージカルが切っ掛けでした。かの有名な劇団四季、その子供ミュージカル「ふたりのロッテ」(エーリヒ・ケストナー原作。アニメにもなった作品だそうです)、「雪ん子」です。「雪ん子」については、今でもそのテーマソングを久美さんは覚えているそうです。
 久美さんにいかに大きく影響を与えたか良く分かるエピソードで、とっても素敵です。
「ミュージカルスターになりたい」
 これが、小学生だった久美さんの胸に芽生えた夢。
 そうなのです。現在、久美さんは「サクラ」の舞台でその夢に迫っているのです。
 小さな久美さんは、お母さんに自分の夢を話しました。
 返ってきた返事はこうでした。
「あんたのその声じゃ無理だよ」

 そう、久美さんの地声は当時、「変な声」と思われていたのです。
 今でこそ、心くすぐり、心安らがせてくれる、可愛い魅力的な声と感じることができます。一歩、退いて見れば、久美さんが役者さんであり、また経験豊富な大人の女性である、そういった像があるから、好意的に見ることができるのかもしれません。けれど、色とりどりのお花のような声と感じ、久美さんの普段の声を聞けば聞くほど好きになっていくのは、紛れも無い事実です。
 しかし、当然役者さんではなかったその頃、普通の女の子として生きていく時、人とは変わったその声は、大きなハンデキャップでした。
 まして、小さい頃の久美さんは、大人しくて引っ込み思案な子、真面目な良い子だった故に、いじめられっ子でもありました。と、それは久美さんだけが思っていたりするのですが……(笑)。
 そんな幼少の頃の久美さんの性格はともかくとして、幼稚園や小学校で、皆でテープに歌を吹き込んだりした折り、久美さんの声だけが何か変でした。久美さんご自身は機械のせいにしていたそうです(笑)。
 幼稚園の時には、おもらししたのを水溜まりの水と言い張っていたというエピソードもあったようですから、やっぱり久美さんには頑なな面もあるような気がします。いつも素敵な笑顔の久美さんですが、主義(ポリシー)をちゃんとお持ちだということからも分かるように。でも夢を追うにはそれくらいでないといけないですよね。
 しかし現実は現実。
 久美さんの声は、他の子とは明らかに異なるものでした。
 そして久美さんは、中学生くらいの時に、自分の声がおかしいことに、はっきり気付きました。
「同じ演技をするんだったら、声優さんなんてどう?」
「あんたの変な声ならなれるかもね」
 久美さんのお母さんが言ってくれたその言葉は、十数年後、現実のものとなります。まだ小さかった久美さんとお母さんの、そんなやり取りを思い浮かべると、とても微笑ましく、そしてそれが本当に叶ったことを思うと、何だかあったかい気持ちになります。
 しかし、そこに至るまでの久美さんの道のりは決して楽なものではありませんでした……。

「変な声」
 それは久美さんのコンプレックスでした。
 特に高校時代。
 今から七年ほど前、そのことを語った久美さんの表情はしょう然としていたそうです。
 明るく朗らか、元気でいつも笑顔を絶やさない女性。それはFOXさんの中でも、まんま同じだった久美さん。そんな久美さん がです……。
 高校時代、久美さんは人とは変わった、やたら可愛いその声を散々からかわれたといいます。それは、どれも辛いものでした。
 久美さんが喋るたび、辛辣な言葉が久美さんに向けられました。
「ブリっ子するなよ」
「窓ガラスが割れる」
 久美さんの声を大袈裟に真似して笑う人もいました。
 喫茶店でお友達と話をしていると、久美さんの声に見知らぬ人が振り向くこともありました。
 授業中ちょっとお喋りでもしようものなら、先生に怒られるのはいつも久美さんでした。
 演劇部の舞台で、殺人現場を見て悲鳴を上げるシーンでは、「スピッツみたい」という声が客席から聞こえてきたこともありました。
 「ブリっ子」という陰口……。
 女の子にとって、これほどきつい言われ様は無いでしょう。
 何一つそんなつもりは無いのに、声が可愛げなだけで、そんなレッテルを貼られてしまう。
 多感な思春期の頃です。
 口を開くたび、周囲から好奇の、或いは侮蔑の視線や言葉が投げ掛けられるのです。
 それがどれほど辛いことか……。
 こちらのページを読んでいるのは男性が大多数かと思いますが、思い出して下さい、自分が高校生だった時のことを。今、高校生である人はそのままです。自分が女の子だったら、と想像してみて下さい。
「ブリっ子するなよ」
 反論しようにも、その反論する声でまた馬鹿にされてしまうんです。
 それは、久美さんの心に付いた傷でした……。
 苦しみ悩み抜いた末に西原さんは、ブリっ子と思われないように一つの防御線を張りました。
 わざと蓮っ葉な言葉遣いをし、乱暴に振る舞ってみせたのです。
 痛々しい努力です……。
 私が、せめてそうであってほしいと願うのは、これが久美さんという役者さんにとって後々、一つの糧になっていったということです。
 蓮っ葉な言葉遣いと乱暴な振る舞いで思い浮かぶのは、「踊子」です。この作品は再演も含めて、三度に渡って上演されました。久美さんは、大場春奈、南マリ、西ユキと演じましたが、どれもその雰囲気がある役でした。こういう所に活きていてくれれば、あの頃の久美さんの戦いも報われる……、そんな気がします。
 久美さんの防御線は社会人になってからも、形を変えて続いたといいます。
 ブリっ子と見られないように、初対面の人と会う時は必要以上に構える、そんな癖があったそうです。
 偽りの自分も、本当の自分も好きになれない、苦しい日々であったかと思いますが、久美さんは独りぼっちではありませんでした。
 久美さんを解り、好きになってくれる人はいました。
 デートで、何と富士山山頂まで一緒に登頂しちゃう彼氏もいました。他の男の子には見えない久美さんの美徳を見抜いた人なのでしょう、きっと(他人がその人をどう言おうと、その人の美徳を見つけて好きになれるのが、恋であると私は思っています)。だから久美さんもてっぺんまで登っていったのでしょう。この辺はかなり妬けちゃうお話なのですが……。
 そして、久美さんの舞台への夢を後押ししてくれる友もいました。

 声優学校に入ろうかな、という久美さんの相談に対し、後押ししてくれた人がいました。
 久美ちゃんのその変な声なら。
 声優にならなれるんじゃない。
 かつてお母さんに言われたことも、心のどこかで成長し続けていたのでしょう。久美さんは意識し始めました。
 やっぱりそうかな、これは武器かな、と。
 久美さん曰く、そうかな〜、とその気になっていたそうです。
 さて、演劇部のエピソードを一つ述べましたが、久美さんは高校時代、演劇部に在籍していました(因みにバレーボール部に入りたかったそうです)。
 成り行きで入ったそのクラブは、「別名・美容体操部(笑)。
 全然、真面目に稽古をしないクラブであったそうです。美容体操をしているか、何か食べているか、そんなお気楽な雰囲気であったみたいです。
 発表会の時のみ、一月ほどお稽古するといった程度で、先に述べたエピソードはこの時のことです。
「スピッツみたい……」
 心臓に突き刺さる、凍て付くような囁きであったと思います。実際、久美さんは、大学進学後、演劇部に入ることには二の足を踏んだといいます。
 これまでの久美さんは、芝居をやりたい、というのは飽くまで夢の一つであって、それに向かって本気で努力をしていた訳ではありませんでした。でもここで転機が訪れます。
 本当にやりたいことは無いのか、という友達の言葉です。
 保母さん、先生、漫画家、ブライダル・コーディネーター(これは現在でも、久美さんがやってみたいお仕事の一つですね)……移ろい続ける久美さんの夢。
 それに、舞台。
 漠然と抱いていた久美さんの舞台への憧れに、火が付いた瞬間であったのかもしれません。
「声優さんなんてどう?」「久美ちゃんのその変な声なら」
 久美さんの心に夢への期待をもたらしながら、日々の学校生活や恋や悩みの中に埋もれていった言葉たち。それらも浮かんできたのかもしれません。
 久美さんの志が、真っ直ぐ一つの方向に向かい始めました。

「もっと本格的に演技の勉強をしよう」
 久美さんは日曜日だけの声優学校に通い始めました。一年間で卒業の、肝付兼太さんの声優養成所です。そこで、久美さんは肝さんに出会ったのです。
 久美さんの人生を決める、運命的な出会いです。
 久美さんはそこで、一年間みっちり勉強しました。
 でも、舞台への夢は諦め切れずにいました……。
 久美さんは、とことん舞台に憧れていたんです。
 演劇の神様が久美さんに微笑んだかのごとく、幸運が、チャンスが訪れました。
 卒業が近付いた頃のこと。
 時、同じくして、肝さんが劇団21世紀FOXを設立しようとしていました。
 その噂を聞いた久美さんは、入れて下さいと肝さんにお願いしに行きました。
 大人のクラス(恐らく他に仕事を持っている社会人のクラス)と子供のクラス(恐らく学生さんたちのクラス)に分かれていた、その声優学校で、肝さんは前者で忍野タケルさん(現・宮下タケルさん)と黒瀬浩二さんに声を掛けたものの、後者には声を掛けてくれなかったそうなのです。
 順序は逆になりますが、肝さんが学校に誘いに来たという話から、劇団設立の話を久美さんは知ったのかもしれません。
 ともあれ、久美さんは自ら、肝さんの元へ。
 声優でも舞台でもいいから、芝居をやりたい、芝居で食べていきたい。
 久美さんの強い思いは聞き入れられました。また、肝さんが講師をしていた訳ですから、久美さんの秘めたるセンスも買っていたことでしょう。
 ここに、劇団21世紀FOX劇団員、西原久美子という役者が誕生したのです。1983年末のことです……。夢への階段の前で右往左往していた久美さんは、ゆっくりゆっくりとその階段を登っていき、遂に最初の扉をこじ開けたのです。
 久美さんが具体的に「役者」を志す切っ掛けとなった舞台があります。かつて柴田恭兵さんが在籍していた、東京キッドブラザーズの「わが青春のアンデルセン」。
 劇中、久美さんが感動したという台詞があります。
「みにくいアヒルの子が本当にみにくいアヒルの子でも、努力すれば空を飛べるかもしれない」
 みにくい……それは久美さんにとって、自分の変わった声のことであったのかもしれません。そして、久美さんは空を飛ぼうとする気持ちを忘れずに、可能な限りの努力を続け、舞台の世界に飛び込んでいったのです。
《2008年8月1日追記》
 実は高校卒業時、やはり自分は舞台で、と決意を固めた久美さんは、東京キッドブラザーズの養成所の試験を受けます。そして見事、合格! ところが受かったらお金を出してくれるはずのお母さんが出してくれず、東京キッドブラザーズへの道は頓挫してしまいまず。
 しかしそのお陰で、久美さんは劇団21世紀FOXへと入り、小劇場演劇で活躍する声優・西原久美子が誕生した訳です。
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 かつて、舞台に立つことが夢だと言った自分に対し、おまえ、その顔で、その声じゃ無理だよー、と嘲られたこともあった久美さんは、今、毅然として舞台に立っています。
 かつて、「ブリっ子」と罵られた久美さんは、今、「ブリっ子」とは程遠い役を沢山、演じています。
 かつて、自らの夢に対し、立ち往生していた久美さんは、今、多くの声優志望の方にアドバイスできる立場にあります。
 かつて、歌も踊りも苦手とおっしゃっていた久美さんは、今、歌謡ショウで歌いまくり踊りまくっています。
 かつて、「ばかおんな〜」と付き合いの長い劇団員さんに呼ばれていた久美さんは、今、やっぱり「ばかおんな〜」と呼ばれつつも(?)、FOXさんを代表する女優さんであります。
 私がこのコーナーを通して言いたかったのは、久美さんご自身の努力の足跡だけではありません。このことも声を大にして言いたかったのです。
 久美さんは、夢と、それに立ち向かう勇気、まだやれるとパワーを与えてくれる人でもあるんです。





 
 
〜奮闘編〜
劇団21世紀FOXに入ってから……デビュー当時



 漸く夢への一歩を踏み出した久美さん。しかし、だからと言って夢のような日々が待っていた訳ではありませんでした。新しい世界に飛び込む誰しもがそうであるように、緊張と焦りの連続、苦難の連続でした。ましてや、限られた人間のみが立つことができる舞台でありマイクの前。シビアな世界です。
 久美さんはまず、舞台に立つより早く、マイクの前に立ちました。声優としてのお仕事が先だったのです。
 そのお仕事とは、藤子不二雄アニメの特番。これが久美さんの一番最初のお仕事、とは久美さんご自身も記憶がおぼろげで、断言はできないそうですが、肝付さんがプロデューサーさんに推薦してくれてのデビューであったとのことです。
 劇団創立のお祝いに来た仕事であり、「面白い声の子はいないか」という打診を受けて、久美に白羽の矢が当たったのでした。
 久美さんの役は、『チュー太郎』という人形の役でした。個々のアニメとアニメの間にインターミッションとして入る人形劇で、久美さんは初めてのアフレコに挑戦したのです。
 しかし、その頃の久美さんは、まだ演技の基礎すらできていない状態でした。素人に毛が生えたレベルと言っても、大袈裟ではないかもしれません。ハスキーで子供っぽいという、特徴的な声のみを買われて、マイクの前に引っ張り出されたようなものでした。嬉しい、と言うより、何が何だか分からないびっくり状態。
 その上、FOXさんも創立して間も無いため、事務所も無く、マネージャーさんもいないという状況でした。久美さんは右も左も分からないまま、現場に放り出されてしまったのです。
 肝さんの推薦というラッキーな出だしでしたが、その幸運も心臓の鼓動で右へ左へと翻弄されるスタートでもあったのです。
 例えば……そう、私たちが、市販されている声優になるための教則本を読んで、三年間ぐらいみっちり練習して、「それではお願いします」とマイクの前に立たされるようなものでしょうか。
 非常に緊張されたとのことです。
 そんな久美さんを救ってくれたのは、共演者だった山田栄子(やまだえいこ)さんでした。山田栄子さんは、現在、久美さんと同じ青二プロダクションに所属しておられる、ベテラン声優さんです(「赤毛のアン」のアン役だったと知って、私の場合はピンときました)。山田栄子さんが手取り足取り教えて下さったことを、久美さんは今も印象深く覚えているみたいです。

 このお仕事の直ぐ後、久美さんは「とんがり帽子のメモル」というアニメ(童話的な雰囲気のファンタジーアニメ)のオーディションを受けることになります。デビュー作として広く知れているのはこちらです。またこれは、久美さんの初レギュラーでもあります。声優になった切っ掛けとして、劇団創立のお祝いに来た仕事がそうだったという、久美さんのお話がありますが、こちらのことでしょうか。
 さて、このオーディションには、今も久美さんの記憶に残るトラブルがあります。
 最初、久美さんは、主役である『メモル』のオーディションを受けました。しかし残念ながら、縁が無かったのかこちらは落ちてしまいます。
 ところが後日、『ピー』役のオーディションに改めて呼ばれることになったのです。『ピー』とは『メモル』の友だちの男の子『ルパング』の弟で、いつもお兄さんの後ろにくっついて『ルパング』の口真似をする、そんな感じの役です。『メモル』とおんなじように、とんがり帽子を被っています。
 『メモル』役のオーディションで、何か感じさせるものを残したのでしょうか。再びチャンスが訪れたのです。
 勿論、張り切っていたことでしょうし、緊張もされていたことでしょう。
 午後一時にスタジオ入り。
 それが約束。
 しかし突然の大雪が関東を、久美さんを襲います。雪により、乗っていた電車が接触事故を起こしてしまい、止まってしまったのです。
 何たる不運か。突然の大雪が、久美さんの脳裏にある『ピー』というキャラクターを覆い隠してしまいます。久美さんの命運が懸かった約束が、凍り付こうとしていました……。
 途中で下ろされた駅で、久美さんはスタジオに電話をします。が、担当者は不在。どうしたらいいかと相談しようにも、劇団にはまだ事務所もありません。
 現在のように、携帯電話という便利なものも無い時代です。とにかく急ぐしかありませんでした。久美さんは走りました。が、無情にも時計の針はぐるぐると回り、やっとスタジオに着いた時には、一時間もの大遅刻。
 謝る暇もあらばこそ、プロデューサーさんは怒って出て行ってしまいます。無理もありませんでした。このオーディションは何と、久美さん一人のために用意されたものだったのです。スタジオも、久美さんのためだけに押さえていたのです。
 真っ青になる久美さん。急ぐ途中で、何度でもスタジオに電話すべきでしたが、大慌てで、半ばパニックに陥ってしまった久美さんにはそれができませんでした。
 「やっぱり声優は無理なのかな」……そんなマイナス思考が頭をよぎります。
 久美さんの悪いところです。多分、久美さんは、何もできず、何も言えぬまま、スタジオに棒立ちになっていたのかもしれません。
 しかし、久美さんは助けられました。スタジオにいた他の皆さんが、まあまあと、プロデューサーさんを宥め、思い留まらせてくれたのです。
 結果として、久美さんは『ピー』の役を頂きました。当時のことを久美さんは、「まだ舞台にも立ったことがないのに、とってもラッキーでしたね」と語っています。
 殆ど経験ゼロな久美さんでしたが、周囲の人が尽力して下さったおかげで、初レギュラーを獲得することができたのです。また、以来、久美さんは、このことを反省に、仕事の30分前には現場に着くよう、心掛けるようになったそうです。

 「メモル」が始まってから、久美さんはいよいよFOXさんで初舞台を踏みます。お芝居の稽古に声のお仕事、それにまだ大学生であったから学業も両立せねばならず、更に付け加えるなら恋愛だってしていたから(?)、それはもう大変、忙しい時期でした。
 カラオケのビデオにご出演されたこともありました。曲名は「お嫁に行けない私」。二人で絡んでいるように見せるベッドシーンを撮るため、一人でベッドの中に入り、シーツの中で暴れてみせたそうです。ヒーローショウのお姉さんのアルバイトもしました。色々、経験なさった下積み時代です。
 また、久美さんには一つの懸念がありました。それはご両親のこと。この世界に入ることを、久美さんのご両親は反対されていたのです。
 以前にも久美さんは、とある大きな劇団にオーディションで合格したことがあったのですが、お母さんの反対に遭い、ついえてしまいったのです。
 久美さんが小さかった頃は、「声優さんなんてどう?」と言ってくれたお母さんでしたが、現実となるとまた話は別です。食べていける訳が無いと思われるような厳しい世界ですし、何より大切な一人娘です。
 そんな中、1984年4月5日、FOXさんの旗揚げ公演「十一人の少年」が大塚ジェルスホールにて行われます。久美さんの役はハナちゃんという幼稚園の女の子。ぬいぐるみを抱いた子で、台本にはもともと無い役を肝さんが付けてくれたとのことです。
 久美さんの初舞台であり、久美さんの舞台女優としての旗揚げ公演でもあります。
 以後、久美さんはどんどん舞台を踏んでいく訳ですが、当初はこういった小さな女の子の役、また、○○たちの一人、といった具合の役が殆どでした。今でこそ、色っぽい女性からお腹の大きな女性まで、様々な大人の女を演じる久美さんですが、当時は小さな女の子の役が大多数だったのです。
しかし、抵抗は全然、無かったそうです。劇団内でも一番年下で、役柄が限定されるのも当然のことだと、ちゃんと受け止めていらっしゃいました。役者としての謙虚で落ち着いた姿勢は、今と変わらぬところです。

 声のお仕事の方では、次々と壁にぶち当たります。特徴的な可愛い声を持っている、というのは以前にも前編で述べた通り、久美さんの一つの大きな武器でした。その分、ひと言ふた言の台詞では、それなりの演技で声のお仕事を乗り切ることができました。
 しかし、TVアニメ「は〜いステップジュン」(スラップスティックな雰囲気のコメディ)で『雪之嬢』というロボットの役(ピンク色のたまご形のロボで、語尾に「ぴこ」と付けます)に着いていた時、久美さんは思い知らされます。久美さんの役、『雪之嬢』がメインのお話になっている回のことです。
 スタジオで、久美さんにこんな言葉が投げ掛けられました。
「ばしっと芝居をしてよ」
 それは、注文や注意以前の言葉でした。もしかしたら、マイクの前に立つプロが受ける言葉としては、最低のものかもしれません。久美さんは精いっぱいやっているつもりでしたが、当時、久美さんの演技力はそんなレベルにあったのです。
 演技の下手さを実感し、暫くの間、久美さんはがむしゃらに頑張ります。同時に、声量の無さでも久美さんは苦労をします。他の人よりマイクに近付いて台詞を言わねばならず、オンエアで自分の声を聞くのも怖かったそうです。またこれは、舞台の上でも悩みの種となります。客席の後ろまで、ちゃんと声が届かない……。
 これを克服するために久美さんが取った方法は、V字バランスをしながら歌を唄う、というものでした。
 演技力は、FOXさんの舞台で鍛えられていきました。
 現在のように研修制度というのも無く、全てが実践。手取り足取り教えてもらえる訳ではなく、公演に向けた芝居の稽古が、演技の勉強をする全てでした。舞台の上で演技というものを自分で学び、感じ取っていかねばならないのです。
 余談になりますが、一から十まで教えてくれる、そういった養成所や研修所が無いため、歌やダンスなど(役者をやる上で持っていると便利な技術)の基礎も、自己の責任でやることになります。今でこそダンスやエアロビのレッスンにも行かれている久美さんですが、当時は劇団に入ったことで安心してしまって、こちらは特に何もされていなかったそうです(声優のお仕事が忙しかったということもあるでしょう)。
 ともあれ、久美さんにとっては演技力の向上が至上の命題でした。
 舞台でいい役に付けば当然、出番も多く、身になることも沢山あり、勉強になります。しかし脇役だと、殆ど見る一方になってしまいます。勿論、見ることも勉強になりますが、実際に舞台に立った方が断然、上達は早い。いい役に付きたい、できるだけいい役をもらえるよう、久美さんは頑張り続けました。失敗を幾つも繰り返しながら……。
 そのかいあってか翌年七月、四回目の劇団本公演「月夜とオルガン」で、久美さんは主役を手にします。『オリエ』という名の、もてもての女子高生の役です。ミュージカルの要素も入った恋愛もの。星空を眺めながら、黒瀬浩二さん演じる青年教師に愛を語られる、ロマンチックな舞台でした。
 この公演をご覧になり、安心されたのでしょうか。遂に久美さんのご両親は許してくれます。久美さんが、お芝居の世界、声優の世界、役者の世界で生きていくことを。
 久美さんの役者人生が、大きく花開き始めました。
 さて、久美さんにとって記念すべき公演となったこの舞台ですが、一方で失敗もありました。当時、思い立つと直ぐ美容院に行っていた久美さんは、勝手に髪を切り、短くしてしまったのです。当然、肝さんに叱られてしまいました(テレビ撮りの前日に髪を切って、TV局の人に条件が違うと怒られたこともありました)。演出の中にあった『オリエ』像が崩れてしまったのだから。それはプロとして自覚が足りないことでした。

 FOXさんで久美さんは、年に数回、打つ公演とは別にも色々な経験を積みました。
 小劇場ブームだったこの頃、ぴあ主催の「メジャーBコンステスト」(メジャーになりきれない劇団のコンテスト)に、FOXさんも参加。久美さんは他の劇団仲間と共に、¨電話のコマーシャル¨を短い芝居(コント)でするというものに挑戦しました。そして見事、優勝をし、賞品の留守番電話をゲットしました。
 また、宣伝のため、自由が丘のスーパーの前で、セーラー服で(!)歌ったこともあるそうです。
 劇団内では「印刷係」を担当した久美さん。チラシやパンフレットのデザインなどを担当し、イメージが違う、と肝さんに駄目出しを食らうこともしばしばだったそうです。後に久美さんはジャレコさんの元で公式HP作りに挑戦することになりますが、その経験はきっと役に立ったのではないかと思います。
 そうした経験を積みつつ、「月夜とオルガン」から数本、舞台をこなし、アニメの方でも久美さんは初の主役を獲得します。「ハロー!レディリン!」(英洋子(はなぶさようこ)さん原作の少女漫画)の『リン』役。それまでアニメでは動物やロボット役が多く、台詞もひと言ふた言というのが多かった久美さんにとって、これは大躍進でした。今までとは比べものにならないくらいの台詞の量に、要求される様々な芝居。
 アニメに声を当てる仕事というのは、ただ可愛い声を出していればいいんじゃないんだな、と思い知らされた作品でもありました。
 劇団に入ってから数年、舞台、アニメ、関係無く、来た仕事をがむしゃらにやってきた久美さんでしたが、やがてこの頃から少し変わってきます。
 とある雑誌のインタビューで、こう語っています。
「1年ほど前から両方の分野で自分にできるいろんなことをやってみたいと思うようになってきたんです。くるものをやるのではなく、自分から積極的にチャレンジしてみようって」
 それは十数年の後、2001年2月……最高の形で結実しています。
 芝居がやりたい。その気持ちから、自ら舞台をプロデュースした「やっぱりあなたが一番いいわ」がそうです。
 そして久美さんは、更におっしゃいます。
「もっともっと色々やって10年、20年と続けていきたい。だって好きだから
 遠い以前、久美さんがオーディションに合格したという、大きな劇団に行っていたら、果たしてどうなっていたのでしょうか。もしも、久美さんがそちらへと進んでいったならば、当然、今の久美さんは有り得ません。今の久美さんには出会えなかったのです。
 けれど。
 私が久美さんに接してきた年月は、久美さんの役者人生のうち、ほんの数年間ではありますが、久美さんの笑顔を見ていると断言できます。
 今の久美さんが歩いている役者人生こそが、最高の選択肢だったんだって。

 西暦2003年で久美さんは役者を始めて丁度20年、一つの節目を越えました。
 久美さんも昔はすごく下手で、沢山、失敗をして、いっぱい怒られていました。けれど、好きという気持ちで頑張り続けていました。
 そして、今も久美さんは舞台が好きです。
 オーラを纏い、放つほどの演技力と存在感を持つようになり、「いつかはアダルトな女性の役ができるようになりたい!」と言っていたのも今は昔、アダルトな役は素敵なはまり役になり、役者としての器は大きく変わったけれど、底にある気持ちは変わらずです。
「もっと喋りたいんです〜」
 久美さんの笑顔とおんなじで、それは昔と変わりません。

(了)
 
  

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