キリストが共におられるとは、どういうことでしょうか?


こんな話があります。


魚が何匹か水の中で泳いでいると、蛙がやってきて…

『お前たちは水がなくては生きていられないんだよ』と言った。

魚たちは母親の魚に『お母さん、水というのは何ですか?』と聞いてみたが、

母親も水というものが何であるか聞いたことが無かった。

そこにかわうそが親切に言った。

『魚さん。心配しなさんな。あなたは水の中に生きている。あなたが吸っている水だよ』


これは神と人との関係の大切な一面を示しています。



パウロはギリシャのアテネでこう言いました。

「確かに、神は私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。

私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。

ある詩人たちも、『私たちはまたその子孫である』と言ったとおりです。

そのように私たちは神の子孫ですから、神を人間の技術や工夫で造った

金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。」 (使徒17章28〜29)




アブラハム・リンカーンは、青年時代に心の内のいろいろな矛盾に苦しみました。

彼は心の統一ができなくて、神経症に悩んだのです。

1914年、彼はこう記しています。

「わたしは生きとし生けるものの中で、もっとも惨めな人間である。

もしこんな感じが人間の家庭の中にあまねく及んでおるとするならば、

この地上に嬉しそうな顔をした人などは一人もいないだろう。」

フォスディック師はリンカーン伝でこう言っています。

「こういう彼が、後になってあれほど驚くべき人物になったのは、

彼自身のことばかり考えないで、偉大な目的のために彼自身を忘れてしまったからである。

『彼の心の鏡は、だんだんと窓の方を向くようになっていった』からだ。」



イエスの十字架の愛を信じるとき、私たちの過去から私たちを自由にしてくれます。

過去から死の力を奪い、輝く未来への門戸を開いてくれるのです。

キリストの愛の中に自分が包まれている、これが共にあることです。



チャペルタイムス 第193号  参照♪

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