<舞台美術さん>




〜その2〜

 FOX友の会の会報(12号)にも書かれていますが、久美さんは同じ劇団員の方から、「天才」と称されることが結構あります。
 と言っても、天才、という言葉の響きから来る崇高な意味だけではありません(笑)。何せ、天然なところの多い久美さんです。聞かれたことに対してずれた答えを返したり、訳の分からないことを言ったり(一度、聞いただけではちょっと分からないこと。でも注意深く意味を読み取ろうとすれば分かること?)と。また、久美さんは人とは脳のシワが違うなんて言われたこともありました。久美さんは一味、違うのです(笑)。
 何も考えなくてもポンポンやれる人、なんて羨ましがられる久美さんですが、これは頷けるお話です。
 そう思わせるくらい、やはり久美さんの演技は舞台の上で決まっているのです。先に述べた表情と動き、それに台詞が、舞台の上で、見ごたえのある面白いもの、リアルで自然なものとなっている証でしょう。そしてそれを稽古の中で、短時間で可能にしているのでしょう。
 何も考えずに。
 しかし、これは違います。久美さんは考えています、ちゃんと。
 「F・f・ーエフー」で、お話を伺いましたが、お芝居の設定(この場合、一人の劇団員として稽古をしている、お芝居の中での役)を気にしながら演技を考えていたこと、過去の役を出発点に役作りをしたこと、他にも違うバージョンがあったこと、肝付さんの演出に探りを入れながら役を作っていたこと、そういったことを久美さんはおっしゃっていました。
 他の劇団員さんと一緒で、ちゃんと久美さんは考えていますし、考えなければできません。
 ただ久美さんの場合、それが素晴らしくはまっていて、尚かつ、短時間でやってのけてしまうことから、天才……考えなくてもぽんぽんやれる人……凄い人、という印象を与えているのでしょう。
 短時間で、というのは同じ「F・f・ーエフー」からのこと。久美さんは、本番の公演中、芝居が変わったりするかもしれないとおっしゃっていました。気持ちの入り方によっても変わるかもしれないと。実際、笑顔を出す演技のところで笑顔が消えていたり、笑顔の加減が変わっていたり、ということもありました。
 舞台は生ものですから、毎回100%、同じもの、なんてことは物理的に不可能な訳ですが、意図して演技を変える、また気持ちが入れば変わる、ということが口から出てくるところにも、久美さんの凄みが感じられます(演技が完全に固まっていないという点を差し引いても尚)。言うのは容易ですが、実行するのは容易ではありません。私はブラスバンドの経験があり、音楽を人に聴かせるということを何度かしましたが、本番で吹き方を変えるなんて、想像しただけで身の気もよだちます。
 演技を変えたことで、久美さん自身の中で成否はあったかもしれませんが、少なくとも「F・f・ーエフー」では、おかしい点は皆無でした。充分に素晴らしい演技を魅せていました。
 本番で演技を変えて、お芝居として成功させられる久美さんの実力。これもまた、久美さんを天才と呼ばせる一つの事由かもしれません。
 レオさん(河本浩之さん)級の方が、久美さんを天才と呼ぶんです。
 外からは何も考えていないように見えるほどに、表情・仕草・台詞と、ばしばし演技を決めてみせる久美さん。けれど、ちゃんと久美さんは考えている。久美さんは天才であると同時に、秀才です。
 さて、表情と仕草と来れば、最後は台詞です。
 一般的に、久美さんは声優さんとして名高いです。声で、言葉で、台詞だけで演技するのが声優さんな訳ですが、その台詞を何故、最後に持ってきたかと言うと、久美さんの演技の中において、表情や仕草は、台詞と同等以上の魅力を持っているからなんです。自然でリアルで、見ごたえがあり、細やかでありダイナミック。
 舞台の上の久美さんを語る上で、台詞は大きく重要なポイントです。
 しかし、もし台詞が無くても、久美さんの芝居は演技として成り立つほどです。美貌を合わせて考えれば、遠い昔の無声映画で活躍できると言っても、過言ではありません。
 舞台の上の久美さんの台詞は、久美さんの表情や仕草を観る者の胸に届ける、誘導ミサイルのようなもの、と思っています。
 その役の個性・性格、そして感情や内に隠しているものを総合して、表情や仕草が出てきますが、久美さんはそれを的確にリアルに表現しています。それらを強弱あれど、確実に観る人の心に届け、ミサイルのように強烈な印象を与える。
 それが久美さんの台詞です。
 久美さんの声は、ここで改めて述べるまでも無く、特徴的です。
 鮮やかにして可愛い声。久美さん自身は、出すのが決して楽ではないのですが、低い声も非常に魅力的です。艶があり、心に響きます。女性として、圧倒的に魅力的な声です。そうそう、低い声も優れているという点は、あのマライア・キャリーにも通じることです。
 台詞が無くても、と前述しましたが、これは逆も言えることなんです。もし舞台が最初から最後まで真っ暗で、台詞だけが聞こえてきたとしても、久美さんの芝居は成り立ちます。
 役のパーソナリティ、感情がしっかり伝わってきます。
 声優さんとしても長いこと活躍してきた久美さんだけあって、声色は他の劇団員さんと比べて豊富です。天賦のものであり、経験と努力で切り開いてきた、この鮮やかな声に久美さは感情を通します。
 役の個性・性格を反映した声を基本に、感情を込める。舞台の上の久美さんの台詞のトーンは、例えるならば、ガラス細工のようです。ちょっとした息の加減で、出来が大きく変わる。感情の入れ具合で、声質が敏感に変わります。アニメなどで聞く久美さんの声より、この辺りのダイナミクスは大きいです。
 また、他の劇団員さんと比べ、役によって声色は変わり易いです。この辺は、やはり声優さんでもあるからでしょう。
 さて、アニメ等ですとそのキャラクターの、基本となる声色は非常に重要な位置かもしれません。声優としてのお仕事の際、感情が入ったことで、役の声を外れたかな、と気になったこともあったそうです。
 舞台上では感情に任せて演技できる、自由度がある分、久美さんの声質は鮮やかに変わります(この辺が、アニメなどのお仕事の難しい部分でしょうか)。
 その色鮮やかな声に乗り、役の感情がしっかりと伝わってきます。そして恋する女性の演技が抜群に魅力的というのは、この点において最も発揮されます。
 恋を打ち明ける時……。
 久美さんの声は、可憐で切なく、それでいて、熱いです。声質は、可憐で切ないんです。
 勿論、役の女性によって加減は変わってきます。激しく暴走しがちな「やっぱり〜」の麗歌ありな、人当たりの良い大人しめな「ムラサキ先生〜」の伊藤けい子など、シチュエーション、恋の形は様々で、久美さんは役の性格と併せて、的確に表現します。
 例えば「ギヤマン〜」の桂登米子では、なまりを直してくれる先生に恋心を抱く訳ですが、田舎の出の彼女は純で、世間知らずで不器用です。好きな先生に喜んでもらうため、お礼として、身体を開こうとします(マンションに一緒に住まわせてもらっている、同じ俳優志望の男に、恐らくお礼をしようとして、抱かれたため)。覚悟を決めた彼女の、壊れそうなほどにナイーブな恋心が、ピアノ線みたいにピンと張り詰めている。そんな気持ちが、華奢な声に満ちみちていました。
 厳しく断られ、優しく諌められた後、桂は先生を称えます。素晴らしい人だと。そして先生に告白しようとします。自分の言葉に思いを込めながら、声はほのかに熱を帯びていきます。が、好きです、の一言が出る前に、先生は遮り、歌遊びを始めます。ピアノ線は緩み、彼女は子供のように喜びます。心の底から楽しそうな声です。
 先生が去った後、彼女は、自分は女優になるんだ、好きになっちゃいけないんだ、と、夢と恋との板挟みになって苦しみます。ピアノ線がぐちゃぐちゃにこんがらがった感じでしょうか。ピアノ線に締め付けられたら……痛いですよね? 恋をしていく上で通る胸の痛々しさが、声となって出ていました。
 恋する女性を演じる時の久美さんの声は、華奢、という表現が似合いかもしれません。ああ、こんな風に迫られてみたいな、って思えるほど。それでいて、内にはとっても熱いものがあるのを感じ取れるんです(叫んだりして、それが表に出ることもありますが)。勿論、それは台詞だけでなく、表情・仕草に合わさってのこと。
 久美さんの台詞は、いつも生き生きとしています。生きている人間の台詞です。
 作られた、という匂いを全く感じさせないんです。他の舞台で他の役者さんを観ていて、そういう印象を感じてしまう時がありますが、久美さんの場合、皆無です。
 人の人生の一瞬を切り取って、肉体を用いて表現するのが役者さんですが、久美さんはそれをちゃんとやってのけています。久美さんの演技は、人生の一瞬そのものです。
 フィクションの世界、架空の世界の登場人物だけれども、リアルなんです。フィクションは言い替えれば、人が求める夢の世界みたいなものですから、そこでリアルに人間を演じる久美さんだから、惹かれてやまないものがあるのかもしれません。
 喜怒哀楽の台詞を、久美さんは生きた声で表現します。実際、表現、という言葉を通り越しています。舞台の上の久美さんは役そのもので、作られたという匂いがありません。こうこう、こういう役だから、こういう台詞が出てくる、こういうトーンで、こういう言い回しで出てくるのは当然。そのぐらいの自然さ。そして、そういう意識さえこうして考えないと出てこないぐらいの自然さ。
 お芝居によっては、リアル、と言うより、コミカルに台詞を言ったり(例えば泣いたりするところ)する場面もありますが、ここでは、仕草の点でも述べましたが、非常に面白みがあります。ユーモアはバランス感覚が無いと生きてきませんが、久美さんはこの点でも非常に優れています。
 久美さんの台詞は、唇から当たり前のように出てくる自然さを持っています。その自然体で、様々な感情を確実に、大きな衝撃で観る者の胸に伝えます。
 勿論、ここまで言うほど重要ではない台詞も多々あります。が、いかなる時も久美さんの台詞は、心の琴線を震わすパワーを持っています。
 「2001ー」というお芝居で、久美さんは「久美子」という役を演じました。冒頭のプロローグ。元気なおじいちゃんのお孫さん。歳の頃、20代前半の、明るい、おじいちゃんっ子といった感じ。ごく普通の女性です。
 おじいちゃんの言葉に反応を返したり、おじいちゃんの古い友人に取り繕ってみせたり、と、特に重要な台詞はありません。が、彼女の反応一言一言からは、明るく茶目っ気があり、悪戯っぽいところもある、といった彼女の個性がしっかりと感じられ、おじいちゃんとの微笑ましい関係もしっかと伝わってきました。
 人によって思うところは様々ですが、こんな女性と結婚したいな(もう直ぐ結婚するから)、「飲むんでしょ?」という台詞からは、ああ、おじいちゃんが好きなんだ、ってことも感じられました。
 決して大きな役ではないけれど、オーラを纏い、自然さで台詞を人の胸に響かせながら、久美さんは大きな存在感を残して、舞台からはけていったんです。


     << Prev     Next >>